イタリア旅行 〜カルマ編B〜

前回の続きです。

輪廻転生
過去世
カルマ
もしかしたらキリストが生きた時代を
私は生きていたのかもしれない


瀬織津姫様の神社を初めて訪れた時、
思い出せず号泣した「大切な何か」とは
なんなのだろう


少しわかりかけてきた気がしました。


何が真実なのか。
何を信じて、何を道標にしたらいいのか。

それは、福山で出逢ったMさんが教えてくれた言葉。


「体感は真実に触れた時に現れる」
「自分の感覚を信じること」



あの鳥肌、涙は嘘ではない。

それは1回、2回と続きました。



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その後、あるとき、私は「前世療法」が気になり、
ネットで調べて岡山市の方へ受けに行きました。
自分の過去世が知りたくなったのです。


確かヒプノセラピー(催眠療法)をされる方のところでした。



そこで私は、キリストが死んだ後の人生を再体験します。

キリストのことが大好きだった私は、
彼が磔で処刑されたことがショックで
とぼとぼとぼとぼ、一人で歩いています。

誰もいない、何もない場所です。

悲しみに打ちひしがれていると、
在る場所で啓示を受けます。

そして、自ら教会を立てました。

教会を立て、運営をし、祈り続けていました。

私は責任者のような立場で、死ぬ間際には、
ベッドの周りに沢山の人に囲まれ、息を引き取ります。



魂が肉体を離れた瞬間、今、下で、私を囲み泣いてくれている人に対して
感謝と愛の気持ちが溢れだし、涙する・・・そんな前世振り返りでした。




このときになると、私は既に

『キリストと同じ時代を生きた』

ということを自分自身のなかで受け入れつつあり、


『もしかしたらキリストの死に何か関わっているのかもしれない』


とまで感じるようになりました。






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それから後に、真さんと出逢い、
真さんの個人セッションを受けることになります。



そのとき、キリストにまつわる何か、
私にとって、とても辛い何か、
があると言われ、


私は「それが何なのか教えてください!」と懇願しました。


それに対し真さんは、


「『今は知るときではない』と天使は言っているよ」


と言われましたが、諦めきれず、


私「それでもいいから、傷ついてもいいから、教えてください!(必死)」


真さん「気になるのね。わかった。」


といってチャネリングしてくれた、その内容は、


天使が羽根で守るように美和子さんを包んでいる。
そして、美和子さんが教会に行ったときに、それを知ることになるみたい。


というものでした。


私はそれを聞いて、納得し、その話題を終わりとしました。




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それから5年間の間、ずっと

私の守護天使や最善なる守護ガイドさんから

「ヨーロッパへ行くように」

「教会へ行くように」

とメッセージを受け取り続けました。


それでも5年もの月日が経ったのは、

私のその大きなカルマ、

真さんのセッションを受けた時には
大きすぎて受け入れられなかったカルマ、

そのカルマの存在を受け入れることの準備
その内容を知ることへ心の準備

の期間だったのだと思います。


それでも5年もかかりました・・・


もう2000年以上経っているのに。










その答えが「イタリアにある」ということは
なぜかわかりました。



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イタリアの教会に行くと、


・とても懐かしい気持ち
・普段お祈りを捧げるとき、私がどのあたりに座っていたか
・お祈りしていたその内容
  ―――世界平和、人々に愛を、憎しみがなくなりますように

など、当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。


なにより、教会にいるとそれだけで
とても安らかな気持ちになり、
とても心が落ち着くのです。


私は過去世において修道女の人生も多く、
教会は私にとってホームのようなそんな場所なのです。


あるとき、教会でお祈りを捧げている時に、

「これは巡礼です」

と言われました。


何しろ観光地と言えば教会であることが多く、
どうやら私にとっては、その観光地を巡っていることで、
巡礼の旅をしているようでした。






そして、ミラノで観たレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』

あれは、キリストが処刑される前日の晩餐を描いたものです。



あの絵に出逢ったとき、



思い出しました。






私はとんでもないことをしてしまった


申し訳なくて、自分を責めて責めて責めて


キリストに対し、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


しかし、私のその気持ちと同時に、


それに対するキリストの深い深い愛も伝わってきました。


彼は、まったく怒ってなどいません。


ましてや恨んでなどいません。


そんな自分を責め続ける私にずっと寄り添い、


愛と許しを与えてくれていたのです。


それはあのときから今まで、ずっと変わらず


彼はそうしてくれていたのです。





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posted by リュウリク at 19:09 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする