映画「かみさまとのやくそく」

今日福山であった
かみさまとのやくそく」上映会&池川明先生・南山みどりさんのトークライブ
に行って参りました!(FBのリンク見れるかな?)


「かみさまとのやくそく」という映画は、胎内記憶のある子どもたちに
その胎内記憶や生まれる前のことをインタビューをしたものがそのまま
上映されるという、ドキュメンタリー映画です。

トークライブで池川先生もおっしゃっていたけれど、
『胎内記憶』というのは、
最近NHK連続テレビ小説「花子とアン」の中でも普通に描かれていたり、
女性セブンで特集を組まれたものが評判が良かったりと、
一時前に比べ、最近では比較的身近になってきているそうです。


今日一日私が気になったワードをここへ覚書しておきます☆


映画『かみさまとのやくそく』
(以下ネタバレになります。今後この映画をご覧になる予定で、
内容を前もって知るのは困る、という方はここから下を
お読みになることをお控えくださいませ。)

〇お母さんが幸せじゃなくて子どもが幸せということはない。
 お母さんが幸せなことが子どもにとって幸せ。


〇不機嫌そうに自分の周りの世話をしてくれるお母さんと
 何もしないけどいつもにこにこしているお母さんだと
 どちらがいいか、と子供に訊くと、
 「何もしないけどいつも笑っているお母さん」
 をほとんどの子たちが選ぶ。
 子どもに「お母さんにどうしてほしい?」と聞くと
 「お母さん、笑って」と言う。
 子どもたちの願いはお母さんが幸せであること、笑っていること。


〇例えば子どもが転んで「痛い!痛い!」と叫んでいる場面があって、
 「そのくらい平気でしょ!」「痛くない痛くない」と他のことで
 誤魔化したり紛らわしたりするお母さんがいるとする。
 すると、子どもは
 「どうしてお母さんは僕の『痛い』に寄り添ってくれないのだろう」
 「どうして僕の『痛い』より周りの目を気にして、それを無かったことにするのだろう」
 そのことが辛くて余計に叫んでしまう。

 そんなときは「痛かったねぇ」とその『痛い』に寄り添ってあげる。
 そうすると子どもは共感してもらえたことで「痛かったけど(わかってもらえたから)大丈夫」となる。

 泣いたりするのもそう。
 言葉が話せない子どもでもいろんなことがわかっています。
 泣くことでお母さんが困った顔をしていたため、泣くのを我慢している子が劇中いました。
 (小さいのにお母さんに気を遣っていたんですね。)
 たいわ士である南山さんが「泣いていいんだよ。今日は泣いてもいい日。」
 「泣きたいときは泣いていいんだよ。」と子どもを撫でていると、ひとしきり泣いてその子は
 ケロッとし、南山さんに抱き付いていました。


〇インナーチャイルドの癒し
 ここでのインナーチャイルドとは簡単に説明すると
 子どものころに傷つけられた自分のこと。
 お母さんたちのインナーチャイルドを癒している様子がすごく印象的でした。
 

〇子どもたちの会話の中から〜
 「反省部屋」
  自死したり、殺したり、殺されたりしたら、自分から希望してそこへ行くらしい。
  そこで反省してからじゃないと、また生まれた時に反省しないといけないから。
  暗闇のようなところで怖いらしい。
  それでも自分でそこへ行かないことも選択できる。
  自分で必要ないと思えば次の生まれ変わりの準備へ行く。
  自死や殺したり、殺されたその理由がポイント。
  自分で自分を責めたり、自分が信頼している人を殺してしまったり、悲しませてしまったり
  そういうことを気に病んでいる人が行くらしい。

  一人の女の子の話では自分が前世で死んだときに
  周りからあまり悲しんでもらえず「あの人は頑固だったから死んで良かったね」と言われた。
  そのときの自分の母親からも「あの子が死んでしまったことはちょっとは悲しいけれど、
  でも頑固だったから死んでしまっても良かったのかもしれない」と言われているのを聞いて、
  とってもショックで、自分から反省部屋に入った、と言っていました。
  また、そういう方たちに今度はそんな風に言われるのではなくて、
  恩返しをするために生まれてきている、とも言っていました。

  



池川明先生(神奈川県の産婦人科の先生)と
南山みどりさん(たいわ士:言葉が話せない子どもの通訳)のトークライブ

〇南山みどりさんのお子さんが亡くなり、
 8年(お腹にいることを考えると7年)で
 お孫さんとして生まれ変わって来ている
(しかもその子、記憶あるんです!
 祖母なのだけれど、「ママ」と呼んでいるそうです。)
 生まれ変わりのサイクルが早い!


〇中絶
 子どもは(生まれても生まれなくても)どっちでもいいよ、と言う。
 産んだら絶対に大変。
 でも産まなかったら一生後悔する。
 人は苦労することも人生の目的の一つだから、どちらでもいい。


〇流産
 中絶と同じ。
 子どもはお腹にいた時のことを「あー楽しかった」「いいところだった」
 と言っている。
 次に生まれてきた子どもが、流産した時の子に会った時の話をしてくれて、
 「その男の子はすごく喜んでいたよ」と教えてくれたケースがある。


〇子どもたちに訊いた「なんで生まれてくるの?」(大多数)
 ・人の役に立ちたい
 ・楽しむため
 この二つを持って帰ったらどの時期に還ってもOK!
 人の役に立ちたいというのは既に生まれた瞬間に実現している
 無事に生まれてきたということはお父さんお母さんの役に立ったということ
 
 魂だと五感が体験できない。
 「噛むことができる」ことがすごく嬉しい
  美味しいものを食べる、美しいものを観る、いろんな感情を経験する
 「切ない」という感覚は魂だと分からない
  その感情がわかることが楽しい

 
〇妊娠したくてもできない人
 子どもにも都合がある
 母性がないと来づらい
 本心から子どもができることを願ってない場合がある
 そういうお母さんは子どもができると困ることがたくさんある

 →産まれて3か月の赤ちゃんを抱かせてもらい、
  30分間自分の赤ちゃんとしてその眼を見つめる
  すると生まれてくる時期とか、自分の都合とか関係なくなる

 →神様にお願いする(祈る)
  「祈りが聴こえたから来たよ」という子どもがいた


  もともと生まれてくるときに「自分は子どもを産まない」と設定している場合
  子育てに費やす時間や労力を別のことに使おうと決めてきている


〇お母さんのお腹の中に魂が入るタイミング

 お母さんを選ぶ、のと、身体に入るのはタイミングが違う

 お母さんを選ぶのは早い子はお母さんが中学生の時から選んでる
 小学生の時にいじめに遭っていたお母さんを上から見ていて
 「助けたい!でも助けるためには肉体が必要!」というので
 何年かして子どもとして生まれてきたというケース
 (お母さんはいじめられていたことを誰にも話してなかったのに、
 子どもにそう言われてとっても驚いた)

 見た目が結構重要で、綺麗だとか楽しそうにしているとかを見て選ぶ

 
 身体に入るのは、ある時期まで出たり入ったりしているのだそう
 で、時が来ると出られなくなる、らしい。
 非常に珍しいケースで産まれた後に入った、という子の話もある





なんだか一気に今日話を聴いた内容をそのまま書きなぐってしまいました・・・。

今日一日映画を観たりトークライブ聴いたりして、
更に強く感じたのは、『子どもは生まれる前から完璧』だということ。
言葉が話せなくても全てわかっている。
ただ大人である私たちは少し早くこの地球に生まれて来て、
この地球の窮屈なルールを知っているということ。それだけ。

池川先生が言われていました。
子どもが全てわかっていると理解しているお母さんと
何もないところからそれを付け加えなきゃと考えるお母さんだと
子どもに対する接し方が変わる、ということ。


それから、私はトークライブの最後に質問させてもらったのですが、
「どうしたら南山さんのように言葉の話せない子どもたちとコミュニケーションがとれるのか」
・聴きたい、知りたい、解りたい と思うこと
・誰にでもできます
・自分の身体や樹、動物たちとも同じこと。要はキャッチボールをするということ。
・まずは自分が自分自身を大切にすること

だそうです(*´ω`*)

長々とお読み頂き、ありがとうございました。


「かみさまとのやくそく」予告編




 

 
  
posted by リュウリク at 22:14 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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